月別アーカイブ: 10月 2016

NBAから学んだこと

こんにちは。薬剤部の澤村です。 今年の春メディカルトピアへの異動をきっかけに、大学時代にやっていたバスケットボールを再開しました。仲間たちと練習や試合を楽しんでいます。 そんな僕はNBAを良く見ています。一番大好きな選手のDwyane Wade(ドウェイン・ウェイド)は、プロデビューしてからずっと同じチームでプレイしていたのですが、今年シカゴ・ブルズというチームに移籍しました。新天地での彼の活躍が楽しみです。 以前は1つのチームでずっとプレイするのが美徳とされ、僕もそのように考えていました。でも最近は移籍を繰り返す選手が増えてきて、移籍しても前チーム同様に活躍できるというのも素晴らしいなと思うようになりました。また、あるチームでエースとしてプレイして、移籍して2番手になっても変らず活躍できるというのは、素晴らしい選手の証明だと思うようになりました。 僕は前病院でやりたかったことを残したまま異動になりましたが、ここに来て役割が変わり、新たにやりたいことがどんどん見つかっています。もっと頑張りたい!と強く思う今日この頃です。

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デルフトの青

10月になったばかりなのに震えるほど寒いオランダのデルフトからお便りします。デルフトは青色の魔術師フェルメールの出生地で有名です。ここにはまた、世界的に有名なデルフト工科大学があり、医学との連携が昔から活発なことで知られています。まさに国際先端医療技術学会の開催地にふさわしい都市です。 そのデルフトに世界中から医工連携のエキスパートが集まり、白熱した議論が交わされました。もっとも印象に残ったレクチャーは、AI(人工知能)に手術をさせる研究です。AIは人間より判断力に優れ、感情や疲労による弊害のない安定した手術を行う可能性があります。現在の手術用ロボットは飽くまでもひとが操作しなければならないのですが、AI手術が実現すると、外科医は横にいてチェックするだけの役目になるのでしょう。途方もなく遠い道のりですが、真面目に研究しているチームがあり、またそれに莫大な金を投資しているひとがいる事実だけでも驚愕でした。ちょっと怖い気もしましたが、、、、 同行した谷田先生は、針のように細い手術器具の開発について発表をしました。日本ならではの繊細な機器開発に、世界は興味津々で聞き入っていました。 私は、30分の基調講演で、本当の低侵襲とは何か という話をしました。腹壁への侵襲を最小化するだけでなく、病変を抱えている臓器そのものへの侵襲の軽減にもっと力を注ぐべきだと主張し、メディカルトピアでの臓器温存手術の取り組みを紹介しました。たくさん質問がありましたし、フロアでも多くのひとから握手されて嬉しく思いました。 最もストレスが多かったのが、編集委員会です。私はこの学会の機関誌の編集長をやっているのですが、この運営が結構難しいのです。毎年紛糾します。どうやって雑誌の評価を上げ、質の高い雑誌の投稿を増やすかというのが、一番のトピックです。各国の猛者がそれぞれ強烈な意見をぶつけてきます。事前の準備も大変ですが、その場で私のたどたどしい英語で彼らをまとめなければなりません。藤岡副院長の冷静で思慮深いマネジメント術を思い出しながら乗り切りました。でもタフな仕事ですが、達成感があります。 今はヘビーな仕事が終わってホッとしています。落ち着いてみると、デルフトはとてもチャーミングな街です。小さな運河が網の目のように走り、細い石畳の道沿いにはギルド時代から使われていたレンガ造りの小さな家々がひしめき合っています。ふと見上げると、教会の向こうの空の青さは、フェルメールが使ったトルマリンブルーにも見えます。フェルメールも歩いたであろう石畳をゆっくり散歩して、デルフトに別れを告げようと思います。 院長金平記載

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”国産みの島”淡路

こんにちは、内視鏡看護科の山崎です。 今日は私の生まれ育った淡路島について、ご紹介させていただきます。 淡路島は”国産み”の神話で知られ、男神のイザナギと女神のイザナミによって日本列島で最初に創造されたとされています。広さはほぼ琵琶湖がすっぽり収まるくらいです。 阪神淡路大震災の被害が大きかった淡路市、洲本市、そして南あわじ市の3つの市に分かれています。四国と結ぶ大鳴門橋と、本州との間には世界最長の吊り橋である明石海峡大橋ができて、ずいぶん便利になりました。 次に淡路島が生んだ有名人についてお話しします。まずは石原軍団でおなじみの俳優の渡哲也さん、そして元宝塚トップスターで女優の大地真央さん。他にはタレントの上沼恵美子さんは、鳴門大橋のふもと福良(ふくら)という私の実家のある町のご出身です。 私はご縁があって東京に住むようになり、メディカルトピアに入ってもうすぐ1年になります。まだまだ皆さんにご迷惑をおかけすることも多いですが、少しでも”淡路島出身の関西弁の女子がいたな”という足跡を残せるよう頑張っていきたいと思っています。

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